時は2005年1月7日。
しちみの約2週間の仮退院も終わり巨大母子病院に帰る日がきました。
私にしてみればやっとこの日がきたーー!ヽ(T∇T)ノ
と小躍り気分でNICUに向かったのです。
そして角刈りパパもあまり仕事に穴を開けるわけにもいかないので
「病院に連れていくだけだからお祖母ちゃんと二人で大丈夫でしょ!」
と余裕をかましてパパを見送ってからの出発。
まぁ行きしなは前回同様に「目ぇでてない?泣いてない?ゴロゴロ言うてない?」
と運転席と後部座席で確認しながらの移動には変わりないのですけどね。
病院のNICUに着くとすぐに定位置のベットに寝かせ、しちみピットイン状態。
看護師さんが「仮退院中に体調を崩していないか診察をしますね~」と言われるので
「すみません、その診察中に義母と昼食に出てきてもいいですか?」
と、ちょっとの間も置かずに「休息したい」発言をしていたのでした。
看護師さんも「はい、ごゆっくりどうぞ~」と優しく言ってくださったので
あぁこの温かい雰囲気、やっと病院に帰ってきたんだなぁ~
って感じがしました。
(↑左から二人目が担当看護師さん。マスクでよく判らないと思うけど若い。)
駅前の和食屋で姑と二人でうどんをすすっていた私。
この2週間の間、しちみのケアに張り詰めていた私は背中に石がどーんと乗かって
いるような重圧を感じていたのですが、NICUに帰ってくるとその石がどっかに
無くなったかのようにスッと軽い!
2週間前に出発する前も「この期間、水中で息を止めていたと思おう・・・!」と自分を
励ましていたのですがここでやっと重かった肩をもみながら大きく「ふーーっ」と
深呼吸することが出来たのでした。
「ここにきてようやく肩が軽くなったわ。しちみには悪いけどしんどかった!」
私の言葉を姑も「そうやろう、そうやろう。」とうなずいて聞いてくれていました。
「今回何泊させてくれるかな?2泊3日でもできたらいいねんけどな~?」
と甘い期待を抱きながらNICUへ戻っていったのでした。
NICUに戻ると主治医の先生がもうしちみの診察を終えていて
「はい調子は良さそうですね(^。^)いつ出発されてもいいですよ。」と。
・・・ (・・?
・・・ ∑(・。・;
ェエェエェエェエ(゜Д゜ノ)ノエェエェエェエェ !?即効退院!?
仮退院って、一時退院って、そういうことだったんですかーー!!
この体力を消耗している私達に往復2時間半のトンボ返りはきつすぎる…
期待していただけにまたショックが大きかった。
もう息止め過ぎて水没
「期待してたのに…」と思いながらまた吸引器やらの荷物を持って
帰ろうとする私に看護師さんが手書きの手紙をくれました。
感動したのが、私達両親宛に書かれた手紙としちみ宛に個別で手紙を下さった事でした。
その思いやりあふれる個別の手紙を見て、
そうだしちみももう一人の人間なんだわ~(;_;)とふっと感じたのでした。
結局生まれて間もない頃はまだあまり写真を撮る気持ちになれなかった事と
予想より退院がいきなりだった事とが重なって、先生や看護師さんやとの記念スナップが
ゼロに近いこの時の入院・・・。
唯一、退院する日にNICUの出入り口まで見送って下さった看護師さん達4人と
まとめて撮っていただいた写真のみ…しかも後でみるとまたもやピンボケ写真でした。
この写真を担当看護師さんに送ったって今思うとどうなの?
送らなかったほうがよかったかも知れません。
手紙には写真がボケてしまった事をあやまり
「しちみの治療がひと段落したら絶対遊びにきます。」
と書いて写真とともに郵送しました。
上記イラストが問題の写真を元に描いたものです。
ピンボケた写真を使ったわりにはまぁまぁ再現できていると思います(笑)
あの時の看護師さん、いつか会いたいと思っているんです。
そのままになっててごめんね。
☆ミ ☆ミ ☆ミ ☆ミ ☆ミ ☆ミ ☆ミ
コメント
そら~
ショックやわ
あの病院、遠かったもんねぇ
まあ、先生も状態が良かったから
「家でも、ちゃんとケア出来るな」と
思ったんやろうね
きっとダメ出しくらってても
落ち込んだと思うよ~
ちょっとうらやましい
3ヶ月で仮退院だったんですね。ちょっとうらやましー。
目が出る退院ってのはちょっとコワイですけどね
私も病院でガチャピンに「目しまっといて」ってよくいってましたよw
ガチャピンは、気管障害が大きく、気管狭窄、気管蛇行、気管軟化症、気管支軟化症と盛りだくさんの病状で3ヶ月の頃は月2回以上のペースで気管支鏡にいってました
初退院は7ヶ月の時でした。
でも、初退院のときはぜんぜん寝れなかったの覚えてます。2週間で体調を崩して即再入院だったんですが、さみしい気持ちとゆっくり休めるって気持ちが混在してましたよ。そんなもんですよね
骨延長、シャント済みでの退院だったので、目は出てなかったです
しちみちゃんの思い出見てると、ガチャピンのことも思い出します。
これからも読みながら一緒に思い出して行きます
ちょこぼっちへ
そ、そうやな。診察してもらって
「吸引ダコが出来てる!!」
とか言われても怖いな。
まぁ吸引ダコやったら退院になってたと思うけど)
しかしあの時のショックは忘れへんわ(笑)
ガチャピンママさんへ
ガチャピンちゃんも眼球突出があったのですね?
眼凸している時、かなりビックリしますよね。
>気管蛇行、気管軟化症、気管支軟化症
聞いたことはありますが、よく知らない症状のオンパレードです。
カンジンカナメの呼吸系…
それでも今、乗り越えてるガチャピンちゃんってすごい!
そうですよね、初退院のときは緊張も一緒になって
眠れないんですよね。
>さみしい気持ちとゆっくり休めるって気持ちが
>混在してましたよ。そんなもんですよね
よかった!こう言う気持ちを聞くとちょっと私も気持ちが
楽になります。
でもやっぱりこの記事に書いていた時期は「さみしい気持ち」
より「在宅怖い」って気持ちのほうが
とても勝っていました。気弱な私。。。
しちみはこの後、骨延長・シャント術も受けるのですが
結局眼凸は直らなかったんですよ
ガちゃんピンちゃんの事もどうぞ色々教えてくださいね!
ガチャピンママさんへ
訂正
ガちゃんピンちゃんの→ガチャピンちゃん
でした。
おめでとうさん~^^。
ってここに書きますね^^。
HP開設記念日なんだよね~。
おめでとうございます。
これからも無理をしないで
ず~~~~~~と続けてくださいね^^。
では~。
kenさんへ
わ
kenさんありがとうございます~
覚えててくださったんですね~
後でBBSのほうにも書き込みしにいきます
これからもkenさんのように長く続けられるように
マイペースでやっていきたいと思っています。
どうぞヨロシクお願いいたします!
おぉ~!?
そっかオープン一周年やってんな
ごめん
kenさんのコメントを読んで
過去ログを見て~
やっと気が付いたわ
そっか、もう1年か。。。。
改めて
おめでとう
「あの時のショック」
そら、そうやろう
こう書いてても
しちみちゃんには悪いな~と思いつつ。
はた目から見てても
「あかねを休ませて上げてほしい」って
思ってたわ。
ちょこぼっちへ
いやいや~いいねんで!ありがとう!
多分自分の性格を考えると、来年の②周年の時には
すっかり忘れているような気がする
なにより来年の②周年を迎えられるようにのんびりと頑張るわ~
>「あかねを休ませて上げてほしい」って思ってたわ。
えへっ(笑)私も「私を休ませて~~」って思っておりやした。
まさかの
毎日通うのは大変でも病院でみてもらえると
プロにお任せできるからね
冬休みの肩の荷をおろせると思ったら
まさかのトンボ帰り
こころ構えが無いだけに、ビツクリ
それにしても、看護師さんてのは
ありがたい存在だよね。しちみちゃん宛の手紙こころが奮い立たされるね
めぇ~ちゃんへ
そうなのよ~手紙の内容は本文には書かなかったけど
私達に対しては「つらい気持ちもあると思うけど、ご両親はいつもしちみの前では優しく接していた」とか書いてくれてた。(じ~ん)
しちみに対しては「毎日しちみちゃんからパワーを貰っていたよ」とか書いてくれていた。(じ~ん)
今でも手紙は手元に残しているわ~
びっくりよ、びっくり~期待していたものでね~…
帰りの車中はしゃべる元気もなかったわ…(苦笑)